■ウズベキスタンに向かう・・・雰囲気が違う
カザフスタンのアルマトイ発、ウズベキスタンのタシケントに向かう機内に乗り込んだ。その瞬間から、世界が変わった。「ここはロシア?」。世界の知識に乏しい私には、乗客が皆、ロシア人やウクライナ人のように見えた。機体はエアバス321、左右3列ずつの計6列の客席だ。空港のロビーで見かけた、日本人と見違うようなモンゴルのグループとも、明らかに雰囲気が違う。
このご時世、肌の色をあれこれ言うのも微妙だが、カザフスタン人よりも明らかに肌が白い。私のような中国、韓国、日本系の顔立ちをした乗客は、機内にわずか2〜3人しか見当たらなかった。「ああ、ウズベキスタンでは、カザフスタンで散歩しながらやった『日本の知人探し』はできないなぁ……」。少しガッカリしていると、いよいよ飛行機は離陸を始めた。
上昇するエンジンの轟音に緊張しながら、上を向いていた目線を右窓に移すと、4,000メートル級の山々が雲の上から雄大に顔を出していた。僕の旅立ちに手を振ってくれているかのようなだ。僕も心の中で手を振り返した。はじめての中央アジアの旅。カザフスタンのアルマトイに続いて、今はウズベキスタンのタシケントに向かっている。気流が安定し手元のガイドブックに目を落とした。
ウズベキスタンは2500年以上の歴史を持つ。かつてはシルクロードの中央アジア文化の中心地として栄えたという。しかし、チンギス・ハンにより徹底的に破壊され、16世紀になってようやく復活を遂げた歴史を持つ。首都のタシケントは1966年に大地震で被災し、旧ソ連の主導下で復興を遂げた。その時の計画が、今の都市構造に繋がっているという。1966年は私が産まれた年だ。イスラムの色彩が今も色濃く残り、場所によっては遊牧時代へのタイムスリップも味わえるらしい。
機内でビールを飲んで寛いでいたら、わずか1時間で早くも着陸態勢に入った。雲の下に、どんな国が、街が、そして人が待っているのだろう。胸のワクワクが止まらない。5月だというのに、現地の予報は30度超え。「初泳ぎができるかもしれないな」。そんなことを考えながらも、眼下に見える巨大な入道雲の存在が、少しだけ気になった。

■アメ車のタクシー!?
タシケントの到着ロビーに降り立つと、ちょうど韓国からの便と重なったようだった。あたりには賑やかな韓国語が響き渡っている。僕は、日本にいるときから登録SMSがどうしても届かなかったタクシーアプリ「Yandex Go」の利用を諦め、もう一つのアプリ「MyTaxi」の操作に取り組んでいた。外国人のクレジットカード登録には対応しておらず、現金しか使えない不便さはあったが、提示された運賃「24,500サム」の提案にOKを出した。アプリの計算だと、日本円で約325円。約30分もの距離を走ることを考えれば、驚くほど安いと思った。
「タクシー!タクシー!タクシー!」。と、ロビーを出た瞬間、凄い勢いで群がってきた輩の1人は、「15米ドル」を要求してきた。日本円にすれば約2,400円前後だ。成田空港から東京に向かうことを考えれば明らかに安いが、ここは中央アジアである。アプリの価格を知ってしまえば、乗るわけにはいかない。配車アプリで車種を確認すると、「シボレー」と書かれていた。アメ車のタクシーなんて珍しいな、と思った。
約10分以上、空港前で予約した車を探したが、僕の知るアメリカ製らしき車は一台も見つからない。ただ、かつて憧れたあの「シボレー」のエンブレムをつけた車は、道路に溢れていた。この時はまだ、その本当の意味が分かっていなかった。ようやく見つかった僕のタクシーは、かなり年季の入った車だった。しかも、僕の「アメ車」という概念を覆すほど小さい。
ホテルまでの約30分。車内にはウズベキスタンのポップスが流れていた。弦楽器が刻む独特のエキゾチックなリズムが心地良い。窓の外を流れるタシケントの街並みを眺めながら、数時間前に居たカザフスタンと比較していた。旧ソ連風の、ちょっと冷たい感じのする団地アパートが規則正しく並んでいる風景は同じだ。どちらも豊かな緑に囲まれている。少しウズベキスタンの建物の方が古く見える。
一方で、道路はウズベキスタンの方が圧倒的に広い。主要道路になると、なんと片側5〜6車線もある。有事の際には戦闘機が離着陸することを想定して作られたのだろう。何せ、冷戦下での復興都市なのだ。僕は海外でタクシーに乗ると、ドライバーに必ず聞く決まり文句がある。「この国では、車を作っていますか?」。白髪混じりのスポーツ刈りをしたドライバーは、たどたどしい英語で一生懸命に答えてくれた。「ウズベキスタン!チャイナ!」「ウズベキスタン!チャイナ!」「ナショナルカー(国民車)!」。
どういう意味なのだろう。不思議に思って再び車窓を覗くと、シボレーのエンブレムを付けた車ばかりが走っている。そこに、中国製のEV(電気自動車)がチラホラと混じっている。日本車はトヨタをわずかに見かける程度で、ホンダとニッサンは、滞在した3日間で一度も見かけなかった。EV用の充電スタンドは日本よりも街のあちこちに設置されていた。
タクシー運転手の言葉を頭の中で分析してみる。「ああ、中国車がウズベキスタンの工場で作られていて、それが輸出されているという意味なのかな」。この時はまだ、その全貌が良く分かっていなかった。(後に知ることになるのだが、ウズベキスタンは旧GMとの提携による巨大な国営工場を持ち、国内を走るシボレーのほとんどを自国生産している「自動車大国」だったのだ。そして今、そこに中国のBYDをはじめとするEV拠点が怒涛の勢いで進出を遂げている。まさに彼の言った「ウズベキスタン・チャイナ」の時代そのものだったのだ。)

■横断歩道に信号がないのに・・・ピタッと止まる車
ホテルに到着すると同時に、激しいスコールへと変わった。夏服では肌寒い。
ウズベキスタンは、カザフスタンに次ぐ中央アジア経済第2位の国だ。宮殿のように美しい地下鉄駅のホームが観光の目玉になっている。が、どこかメンテナンスが行き届いていないような印象も受ける。旧ソ連の色彩が濃く、東京の大江戸線のようにやたらと深い。これがかつて核シェルターを意識して造られた歴史を思うと、少し心が寒い。
僕が泊まった「ウズベキスタンホテル」も年季が入っていた。しかし、街の中心に堂々と佇むその姿はまさにランドマークであり、スタッフの対応は温かかった。ただ、このホテルの内部で、現在の「日本の厳しい現実」を直視させられることになるとは、この時の僕はまだ思いもしなかった。
夜、ウズベキスタン料理を試そうと街へ歩き回った。 道路は果てしなく広いくせに、横断歩道に信号がない場所がほとんどだ。歩行者はみな、早足で大通りを渡っていく。驚いたのは、あれほどの猛スピードで行き交う大通りでありながら、横断歩道に歩行者がいると、車がピタッと止まることだ。東京よりも明らかに、歩行者に道を譲っている。

■フォークとスプーンで食べる麵
地元の料理店がなかなか見つからない。看板に書かれているのはウズベキスタン語とロシア語ばかりで読めないのだ。結局、店構えだけで直感的に選んだ店に入ることになった。前日のアルマトイでは、地元の「ラグマン(中央アジアの手打ち麺)」を頼んだつもりが、出てきたのは地元の「ラーメン」だった。今夜こそ本物のラグマンを食べようと注文したのだが、運ばれてきたのは、韓国の「冷麺」のようだった。メニューの写真からは、スープの下に潜った麺の正体が判別できなかったからだ。
おかげで僕は、ラーメンと冷麺を、生まれて初めて銀色のフォークとスプーンで食べることになった。とはいえ、どちらも日本や韓国の真似でなく、それぞれの国に馴染んでいる。そもそも「ラグマン」は、うどんのルーツと言われる、古くからの名物だ。そんなこんなで、手持ちの現金が少なくなってきた。明日の朝、日本円を両替することを決めた。アルマトイの市内では日本円の取り扱いがなくて両替できなかったが、ここタシケントでは、ホテルの両替所にしっかりと「日の丸」が表示されていたので安心していた。
■目の当たりにした「日本円の暴落」
翌朝、ホテルの両替所の窓口で1000円札5枚を差し出した。すると、女性スタッフのうちの1人が、ブースに表示された「40」という数字を指さし、「OK?」とわざわざ確認してきた。ネット検索でのレートでは「5,000円=約36万サム」だったので、私はてっきり「40万サムに変わる(少しおトクだな)」と思い頷いた。この国では、両替所のレートは政府によって一律に規制されていると聞いていたため、警戒を完全に解いていたのだ。しかし、戻ってきた札束を数えて、愕然とした。
手元には「20万サム」しかなかったのだ。やたらと桁の多いお札を、何度も指をすり合わせて数えても、ネットで見た価値の半分、そして彼女が言った「40」の半分しかない。ネットでレートを再確認し、私はすぐに窓口に引き返した。こういう時、さっきまで愛想よく見えた女性の顔も、急に図太く、冷徹に見えるものだ。
受付の女性は、こちらの抗議を何度も「Right(正しいわよ)」と、一言ではねのけた。激しい理不尽さを感じたが、ホテルの宿泊客に対してこれだけ堂々と反論してくるのだから、彼女たちが個人的に詐欺を働いているわけでもなさそうだ。納得いかないままながらも部屋に戻った。
数字に弱い僕は、この割り切れない思い、愚痴をAIに聞いてもらおうと、スマートフォンに事の顛末を吹き込んだ。AIから返ってきた説明は、僕の目を覚まさせると同時に、今の「日本の現実」を容赦なく突きつけるものだった。「なんということか。日本円は、そこまで落ちてしまったのか・・・」。こんな現実、旅行ガイドの『地球の歩き方』にも、日本のマスメディアでも、一度も聞いたことがなかった。
手元にあった『地球の歩き方』では、2023年3月時点で「1,000スム=約11.9円」となっている。それが今や、現地の手数料込みのレートでは「40円」にまでに跳ね上がっているというのだ。この複雑な為替の解説は難しいので、AIが僕に教えてくれた表現を、そのまま引用したい。
【AIによる解説を一部引用】なぜ、ネットで調べた「5,000円=約38万サム」が、現地では「20万サム」になってしまったのか。そこには二つの盲点がありました。
① 表示された「40」の本当の意味
ゼロの桁数が極端に多いウズベキスタンでは、ホテルの看板や電光掲示板の数字を省略することがよくあります。彼女たちが指さした「40」は、「5,000円を40万サムにする」という意味ではなく、「1,000スム=40円」という、ホテル独自の「逆算レート(円建て)」の表示だったのです。その計算でいくと、手元に渡された20万サムは、ホテル側の高い手数料を差し引いても、システム上は「計算通りに渡している」金額だったのです。
② 世界における日本円の価値の下落
そしてもう一つ、旅人として突きつけられた厳しい現実、「世界における日本円の信用と価値の暴落」です。ウズベキスタンのような中央アジアにおいて、日本円はめったに使われない「マイナー通貨(弱い通貨)」に転落しています。さらに昨今の円安も手伝い、現地の銀行やホテルにとって、いつ暴落するか分からない日本円を買い取ることは「リスク」でしかありません。そのため、基軸通貨である米ドルに比べて、わざと目を見張るほど悪い交換レートが設定されているのです。

■円の本当の姿を知る
かつて「世界最強」とまで謳われた日本円。私が学生時代に初めて海を渡ったあの頃、日本円は1ドル=80円台だった。そこからわずか30数年。日本のテレビニュースのスタジオでは決して語られない「円の本当の姿」を、私はここウズベキスタンで思い知らされることになった。きっと、他の国々でも同じことが起こっているのだろう。
日本との経済的な交流が少ない国にとって、日本円は今や、ただの「やっかい者」になっている。デジタル決済が遅れている日本円。「桁が多すぎるハイパーインフレ通貨」と、日本人もどこか軽く見ていたウズベキスタンのサム。しかし、国力を着実に上げ、デジタル決済が普及したウズベキスタンに対し、日本円は「国力が弱くなり、海外でまともに買い物すらできない通貨」へと転落してしまった。
「一体、誰がこんな日本にしてしまったんだ!」。帰国したら、この憤りをどこにぶつければいいのだろう。そんな衝動に駆られた。

【あとがき】
日本に戻る当日、私はタシケント市内にある「日本センター」の日本人墓地と日本庭園がある静かな場所で、この文を整理しています。第2次世界大戦後、ソ連によって強制連行・抑留され、このタシケントの地で亡くなった79人の同胞の碑に、手を合わせました。
今日は土曜日ということもあり、地元の若い人が、広い日本庭園のみみずしい芝生に寝転んで、思い思いに週末を楽しんでいます。残念ながら、周囲を見渡しても私以外に東アジア系の姿はありません。けれど、ウズベキスタンの人々が、遠い日本の文化を愛し、日常の一部としてくれている姿は、これからの両国の関係をきっと明るくてしてくれるに違いないと確信させてくれます。
日本人抑留者たちの慰霊碑の横でかつての日本車の象徴である「トヨタ」と、現在のこの国の日常を埋め尽くす「シボレー」が静かに並んで停まっている光景が、心に刺さりました。(市民記者 坂本 剛)